目次
- 1 世界一の賞を獲った2年後、僕が左遷された理由
- 1.1 〜二人の確執が、僕たちの人生を変えた〜
- 1.2 憧れのスピーカーを作った「神様」が上司だった
- 1.3 「この仕事は10年やって一人前」
- 1.4 もう一人のキーパーソン、K氏
- 1.5 二人がぶつかった理由
- 1.6 そして、25年が過ぎた
- 1.7 ここから、僕自身の人生にもつながっていく
- 1.8 「欧州ブランドの5指に入る」
- 1.9 ところが、2年後――
- 1.10 世界一の賞を獲ったのに、授賞式には行けなかった
- 1.11 誰が悪かったのか?
- 1.12 二人の過去が、他人の人生を変えてしまう
- 1.13 だから「会社員は奴隷だ」と言いたいわけではない
- 1.14 「なぜ日本人は使い捨てにされるのか」と感じたもう一つの経験
- 1.15 38年間の経験は、定年で終わるのか
- 1.16 今、僕は個人事業主として仕事をしている
- 1.17 自分の人生を、誰かの人間関係に預けない
- 1.18 無料メルマガに登録する
世界一の賞を獲った2年後、僕が左遷された理由
〜二人の確執が、僕たちの人生を変えた〜
※これは、僕自身が会社員時代に経験した実話です。
最初に、ひとつだけお伝えしておきたいことがあります。
これは、誰かを悪者にするための話ではありません。
僕が「N氏が悪い」「K氏が悪い」と言いたいわけでもありません。
二人とも、それぞれの仕事に対して強い信念を持った人でした。
ただ、その強烈な個性と性格の違いが、やがて二人の間に「確執」を生みました。
そして、その確執は二人だけの問題では終わりませんでした。
何十年も前に生まれた人間関係が、その後の人事や組織の判断に影響し、
僕を含めた多くの社員の仕事や人生まで変えていったのです。
僕自身、その影響を受けた一人でした。
憧れのスピーカーを作った「神様」が上司だった
僕が中学生だった1974年。
オーディオ雑誌で、あるスピーカーを見ました。
それは、日本のメーカーが作ったスピーカー。
その年に発売されたモデルがスウェーデン国営放送に採用されたことで、
日本のスピーカーを世界に認めさせた製品でした。
開発したのがN氏です。
日本のオーディオ業界では、まさに「スピーカーの神様」のような存在でした。
後には褒章も授与されています。
僕は、そのスピーカーの写真を雑誌で見て衝撃を受けました。
「いつか、こんなスピーカーを作ってみたい」
そう思ったのです。
5年後。
地元の大学に合格した僕に、母親が入学祝いとして、その憧れのスピーカーを買ってくれました。
そして僕は、
「このスピーカーを超える、世界で認められるスピーカーを作るんだ」
という、今思えばかなり無謀な思い込みを持って就職活動をしていました。
そして運よく、希望していた会社に入社。
希望していたオーディオ部門に配属されました。
そこで待っていたのが――
なんと、あのN氏でした。
憧れていたスピーカーを作った本人が、僕の上司になったのです。
「この仕事は10年やって一人前」
4月1日に入社。
研修を終え、7月1日に正式配属。
するとN氏は、僕を食堂へ連れて行ってくれました。
そこで言われた言葉を、今でも覚えています。
「飛世くん、この仕事は10年やって一人前。途中でおかしくなった人が何人もいるから、ボチボチやって」
当時の僕は、
「そんなに大変な仕事なんだな」
くらいにしか思っていませんでした。
でも、仕事を始めてみると、その意味が少しずつわかってきました。
N氏は、とにかく妥協をしない人でした。
・朝会っても、挨拶をしない。
・話しかけても、何も答えない。
・そして、一度開発を始めたモデルは、自分が納得するまで改良を続ける。
音質を良くするためなら、日本製で手に入る材料でも、ドイツ製を輸入して使う。
そのため、N氏が課長だった頃は、新製品の発売が数か月遅れることも珍しくありませんでした。
でも、それほどまでに妥協しなかったからこそ、世界に認められるスピーカーが生まれた。
そこは、僕も否定できません。
むしろ僕自身、そんなN氏の仕事に憧れて入社したのです。
ただ――
強い信念は、ときとして周囲との摩擦も生みます。
そして、N氏の人生には、その後もう一人の人物が登場します。
もう一人のキーパーソン、K氏
K氏は、もともと電子楽器の開発技術者でした。
ヒット商品も手掛けていた、実力のある技術者です。
ただ、仕事の進め方はかなり強引だったようです。
リーダーとして人を集める方法も、開発の進め方も、周囲とぶつかることがあった。
そのため、K氏をよく思わない人もいたようです。
やがてK氏は開発部門を離れ、郊外にある楽器工場の工場長になります。
そこで、N氏との間に大きな確執が生まれました。
二人がぶつかった理由
当時のN氏は、音質に対して一切の妥協を許さない人でした。
たとえば、国内で入手できる材料でも、音質が良くなるのであればドイツ製を輸入して使う。
N氏にとっては、それが当たり前でした。
一方のK氏は、電子楽器の技術者。
スピーカーのような、アナログ技術の塊ともいえる製品については、
N氏とは考え方が違いました。
「なぜ、そんな高価なドイツ製を使うんだ?」
「そんなものに、そんなに違いがあるわけがない」
K氏はそう考えた。
N氏は譲らない。
K氏も譲らない。
二人は真正面からぶつかりました。
当時は、
設計部門 > 製造部門
という力関係があったため、最終的にはK氏の主張が通りませんでした。
二人の考え方は、最後まで交わりませんでした。
そして、25年が過ぎた
普通なら、会社員時代の昔の出来事です。
何十年も経てば、もう過去の話。
そう思いますよね。
ところが、そうではありませんでした。
K氏はその後、中国のピアノ工場の社長となり、工場を無事に立ち上げます。
そして重役となって、本社へ戻ってきました。
ところが、そこで不思議な人事が行われます。
K氏が担当することになったのは、得意分野である楽器事業ではありませんでした。
AV(オーディオ・ビジュアル)事業部です。
本人も所信表明の場で、
「なぜ自分がこの事業部の担当なのかわからない」
と公言したほどでした。
なぜでしょう?
僕が後になって知ったのは、過去にK氏をよく思っていなかった人たちが、
会社の上層部にいたということでした。
つまり――
25年以上前に生まれた確執が、消えていなかった。
ここから、僕自身の人生にもつながっていく
N氏が世界に認められるスピーカーを作ってから、約30年。
時代は大きく変わりました。
バブルが弾け日本市場は縮小し、
スピーカーも世界市場で勝負しなければならなくなっていました。
会社は、国内生産から海外生産へ。
コストを下げ、アジア市場での競争力を高める。
それ自体は、企業として当然の判断だったと思います。
ところが、その過程で、かつてのブランドイメージが少しずつ失われていきました。
中国市場からも、
「X社は、技術者の魂を失った」
と言われるほどになりました。
そこまで言われて、僕たちも黙ってはいられませんでした。
「欧州ブランドの5指に入る」
2001年。
新しいプロジェクトが立ち上がりました。
目標は、
「欧州ブランドの5指に入る」
僕は、そのモデルリーダーになりました。
・70年代からイタリアで活躍する、日本人の有名インダストリアルデザイナー。
・アメリカの高級ブランドにも携わっていた、イギリス人コンサルタント。
・日本メーカーのヒット商品を手掛けた実績を持つ、ドイツ人のスピーカー設計者兼コンサルタント。
そんな世界のプロフェッショナルたちと一緒に仕事をしました。
2004年からは、ヨーロッパへ年に何度も通いました。
現地で音を聴き、調整する。
また聴く。
そして、また調整する。
それを何度も繰り返しました。
2006年秋。
日本では都内のカフェでシンガーのミニコンサートとともに新製品を発表。
2007年2月。
ヨーロッパのプレス向けに、モロッコ・マラケシュで新製品発表会を開催しました。
そして――
2007年。
そのスピーカーが、EISAのフロアスタンディングスピーカー部門を受賞しました。
ヨーロッパのプレス20誌、約50人による投票で選ばれる賞です。
日本のスピーカーでは受賞は無理だと、営業部長も事業部長も言っていました。
それでも担当マーケッターが粘ってノミネート。
さらに、パリ駐在だった懇意の営業マンが、モロッコでの発表会を仕込んでくれました。
多くの人の努力がつながって、ようやく受賞できたのです。
僕にとって、会社員人生の中でも特に誇れる仕事でした。
ところが、2年後――
2007年。
K氏がAV事業部の担当重役になりました。
そして、社員全員との面談を始めます。
その中で、スピーカー開発部門について、
「あいつらは頭がおかしいから、解体してやる」
という趣旨の発言をしたそうです。
その背景には、過去のN氏との確執がありました。
そして面談で、僕はインドネシア駐在を打診されました。
僕は断りました。
すると2年後。
僕は別の部署へ異動になりました。
世界一の賞を獲ったのに、授賞式には行けなかった
2007年。
ベルリンでEISAの授賞式がありました。
僕は、そのスピーカーのモデルリーダーでした。
ヨーロッパで一緒にサウンドチューニングをしてきたドイツ人の社員も参加します。
ところが僕は、授賞式への参加を許されませんでした。
そのドイツ人社員は、
「なぜ飛世が来ないんだ?」
と言っていたそうです。
そんなこと言われてもね。笑
僕自身も、
「自分が作った製品が世界的な賞を獲ったのに、なぜ自分はそこにいないんだろう」
という複雑な気持ちでした。
誰が悪かったのか?
ここまで読んで、
「K氏が悪い」
と思う人もいるかもしれません。
あるいは、
「N氏もかなり変わった人だったんだから、仕方がない」
と思う人もいるかもしれません。
でも、僕はそういう話をしたいわけではありません。
N氏にはN氏の信念がありました。
K氏にもK氏の仕事に対する考え方があった。
二人とも、自分のやり方が正しいと思っていたのでしょう。
だからこそ、ぶつかった。
そして一度生まれた確執が、時間が経っても消えなかった。
問題は、その確執が二人だけの問題ではなくなったことです。
二人の過去が、他人の人生を変えてしまう
会社という組織では、自分が関わっていない人間関係の影響を受けることがあります。
・自分が知らないところで、上司同士が過去に何かあった。
・昔の部署間の対立が残っている。
・以前の上司と今の上司が仲が悪い。
そんな「自分には関係のないこと」が、ある日突然、自分の仕事に影響してくる。
僕の場合、それが異動という形で現れました。
僕だけではありません。
・組織が変われば、そこで働く多くの社員の仕事も変わります。
・誰かの判断によって、希望していた仕事を失う人もいる。
・海外で働く機会を失う人もいる。
・積み上げてきたキャリアを途中で変えざるを得なくなる人もいる。
そして、その影響は、ときにその人の人生そのものを変えてしまいます。
場合によっては、人生を狂わせてしまうことさえある。
僕が怖いと思ったのは、そこでした。
だから「会社員は奴隷だ」と言いたいわけではない
僕は、この経験をもって、
「会社員は奴隷だ」
と言いたいわけではありません。
会社員には会社員の良さがあります。
僕自身、38年間会社員として働きました。
その間に、多くの人と出会い、技術を身につけ、世界の技術者とも仕事をしました。
EISAという世界的な賞を獲ることもできました。
今の僕があるのは、会社員時代の38年間があったからです。
だから、会社員時代を否定するつもりはありません。
ただ、ひとつだけ言えることがあります。
会社の中では、自分の実力だけではコントロールできないことがある。
そして、
自分とは関係のない人間関係によって、自分の人生が左右されることもある。
これは、会社員として長く働いた僕が実際に経験したことです。
「なぜ日本人は使い捨てにされるのか」と感じたもう一つの経験
もう一つ、僕が会社員時代に強く感じたことがあります。
2004年から2007年にかけて、ヨーロッパの技術者たちと一緒に仕事をしたときのことです。
彼らと話をしていると、
「なぜ、こんなに待遇が違うんだろう?」
と感じることがありました。
僕と同等、あるいは僕より技術力や実績が少ないと感じる技術者でも、
年収は僕の2.5倍から4倍。
もちろん、国によって税制も物価も違います。
単純に比較できないことはわかっています。
それでも、
「日本では、長年かけて身につけた技術や経験が、十分に評価されているのだろうか?」
という疑問は残りました。
38年間の経験は、定年で終わるのか
僕は38年間、技術者として働きました。
その間、ヒット商品にも関わりました。
世界的な賞を獲った製品も開発しました。
海外の技術者とも仕事をしました。
それでも60歳で定年を迎えると、収入は大きく下がりました。
長年積み上げてきた技術や経験が、制度の前ではほとんどリセットされてしまうように感じました。
もちろん、会社の制度として定年が必要なことも理解しています。
若い世代に仕事を渡していくことも大切です。
でも、
「38年間積み上げてきたものは、いったい何だったんだろう?」
という気持ちは残りました。
そして僕は定年退職し、年金を繰り上げ受給することにしました。
今、僕は個人事業主として仕事をしている
そして現在。
僕は会社員ではなく、個人事業主として仕事をしています。
個人事業主になったからといって、楽になったわけではありません。
・仕事を取るのも自分。
・売上を作るのも自分。
・失敗したときに責任を取るのも自分。
会社員とは違う大変さがあります。
それでも、会社員時代とは決定的に違うことがあります。
それは、
「誰と仕事をするのか」
「何を大切にするのか」
「どんな仕事をするのか」
を、自分で選べることです。
自分の人生を、誰かの人間関係に預けない
僕がこの話を書こうと思ったのは、会社員を否定するためではありません。
まして、
「会社を辞めて独立しましょう」
と言いたいわけでもありません。
ただ、今会社員として働いている人に、知っておいてほしいのです。
会社という組織では、
自分の人生を、自分だけでは決められないことがある。
それは、能力の問題ではありません。
努力不足でもありません。
・自分とは関係のない、誰かと誰かの過去。
・その人間関係。
・その確執。
それが、何年も、何十年も後になって、自分の仕事や人生に影響してくることがあります。
僕は、それを実際に経験しました。
だからこそ、今になって思います。
会社で働くことが悪いのではない。
組織に属することが悪いのでもない。
ただ、
「会社の中での評価」と「自分自身の価値」を、同じものにしないこと。
そして、
会社の外にも、自分の経験や技術を活かせる場所があること。
それを知っているだけでも、人生の見え方は少し変わるのではないでしょうか。
僕の場合、38年間の会社員生活で積み上げた経験は、会社を離れたあとも消えませんでした。
むしろ今になって、それまでの経験が別の形でつながっています。
人生は、会社を辞めたところで終わるわけではありません。
それまで積み上げてきたものは、ちゃんと自分の中に残っています。
だから僕は今、
「あの38年間があったから、今の自分がある」
と思っています。
そして同時に、
「自分の人生まで、誰かと誰かの人間関係に決めてもらわなくてよかった」
とも思っています。
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【写真家tabbyの活動】
50年以上に渡り撮影を継続し、その撮影枚数は10万枚を超える。
◆「kindle写真集の出版」
■CRP第1弾
■CRP第2弾
■CRP第3弾
■CRP第5弾
■写真集第6弾(独自出版)
◆「写真展とネット掲載」
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■2005年よりFlickrをはじめ、現在5,000枚ほど掲載
■Gettyにて写真データーを販売【175点】
■fotofever paris 2014年より3年連続出展 *fotofever paris とは、 世界最大の写真の見本市、イベントであるパリフォトと同時期にルーブル美術館の地下イベント会場であるルーブル・カローセルで開かれる。約100のギャラリーや出版社(日本からは8社)が出展。
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