※これは僕の実体験(事実)を元にしたストーリーです。
目次
日本の技術者は奴隷である。さらに使い捨て
世界一の欧州の賞を獲った2年後、左遷された理由は?
スピーカーの神様と担当重役の過去の確執だった!
ここで2人の登場人物
●N氏
彼は1974年に発売したモデルがスウェーデン国営放送に採用されたことで、
日本のスピーカーを世界に認めさせ、日本のオーディオ業界では神格化されていました。
後に、褒章を授与されています。
僕は、1974年にオーディオ雑誌でそのスピーカーを見て
衝撃を受け、”いつか手に入れたい!”と思っていました。
その5年後、地元の大学に合格すると
母親からお祝いにそのスピーカーを買ってもらうことに・・・
そして、「このスピーカーを超える、世界で認められるスピーカーを作るんだ。」
という思い込みだけで、運良く?就職し希望の部署に配属されたのですが・・・
設計課長だったのが、N氏でした。
4月1日に就職し、研修を終え、7月1日に配属されると、
彼は一緒に食堂へ連れて行ってくれました。
そこで、
「飛世くん、この仕事は10年やって一人前。
途中でおかしくなった人が何人もいるから、ボチボチやって。」
と言われました。
後にその”おかしくなった原因”が”彼のエキセントリックな性格にある”ことが判明します。
・朝会っても、挨拶しない。
・話しかけても何も答えない。
・開発モデルは、自分が納得いくまで改良を続ける。
そのため、彼が課長時代は発売が数ヶ月以上遅れることが当たり前。
JBLの創始者が自殺したように、この仕事は
自分を追い込みすぎると精神的に潰れる職種でもありますが。
●K氏
前提として、前職の会社は[その他製造]に分類されますが、
主流(事業の柱、利益の源泉)は、[楽器製造]であり、
僕が配属された[オーディオ製造]は、
元々三代目を社長にするために作った部門なので、
あくまでも亜流で赤字が三期続くと撤退を余儀なくされる事業でした。
K氏は元々[電子楽器の開発技術者]であり、ヒット商品も手掛けていたのですが、
その強引なやり方(リーダーとしての、メンバー集めや開発手法など)から
良く思わない人も周りにいたようです。
なので、後に開発部門から郊外の楽器工場の工場長になります。
N氏とK氏の確執
問題はその工場で起こりました。
前述したように、
N氏は、音質が良くなるには”妥協を許さない人”。
なので、アルコールなど日本製が入手できる材料でもドイツ製を輸入して使ったりしていました。
K氏は電子楽器畑ですから、アナログ技術の塊であるスピーカーのことが理解できません。
⇛「なぜ高価なドイツ製を使うんだ?そんなものに違いがあるわけがない!」
とどうしても使い続けると主張するN氏とガチで喧嘩しますが、
その頃、設計>工場(製造)という力関係から押し切られます。
確執から四半世紀後
N氏は、その後中国ピアノ工場の社長となり、無事立上げます。
そして、重役になり本社復帰となりますが
なぜか?[楽器事業部]の担当ではなく{AV(オーディオ・ビジュアル)事業部}の担当重役に任命されます。
それは、過去の自分を良く思わない人たちが上層部にいたから。
所信表明でも、「なぜ自分がこの事業部の担当なのかわからない」と公言したほど。
受賞モデルの開発経緯
前述したように、N氏が開発したモデルが世界に認められてから約30年。
日本市場が縮退し、スピーカーも本格的に世界市場で勝負するしかなくなりました。
国内生産⇛海外生産へ移行する過程で、コスト&アジア市場での競争力を重視するあまり
過去のブランドイメージが凋落して、中国市場からも
「X社は、技術者の魂を失った!」とまで言われました。
そこまで言われては、我々も黙っていられません。
【2001年、欧州プロジェクト〜欧州ブランドの5指に入るが目標〜】が立ち上がり、
僕はモデルリーダーになりました。
・日本人の有名インダストリアルデザイナー
・イギリス人のコンサルタント(アメリカの高級ブランドにも携わる)
・ドイツ人のスピーカー設計者&コンサルタント(日本メーカーのヒット商品を手掛けた実績あり)
などと協業しながら、 2004年からは欧州を年数回往復し現地でサウンドチューニングを繰り返し、
2006年秋、日本で新製品発表。
2007年2月には、欧州プレス向けにモロッコ・マラケシュで新製品発表会を開催。
2007年プレス20誌50人の投票による【EISA、フロアスタンディングスピーカー】受賞。
(日本のスピーカーでは絶対受賞が無理だと、営業部長&事業部長も言っていたが、
担当マーケッターが粘りノミネート、Paris駐在だった懇意の営業マンがモロッコでの発表会を仕込んで達成された。)
ここでK氏登場
K氏は2007年[AV事業部}の担当になると、社員全員と面談します。
そこで、
スピーカー開発部門は、過去のN氏との確執から
「あいつら頭がおかしいので、解体してやる」とうそぶき、
面談でインドネシア駐在を断った僕は2年後別部署に飛ばされることに。
そういう状況なので、
2007年のEISA授賞式@ベルリンには参加を許されず、
一緒にサウンドチューニングを行ったドイツの社員は
「なぜ、飛世が来ないんだ?」と言ってたらしい。
そんなこと言われてもね。w
このように日本の会社では
人事は運(人間関係)で決まるものであり、実力や実績には関係ありません!
(もちろん成果をあげてない人は論外ですが)
なぜ奴隷なのか?
最近でこそネットで失われた30年、その原因はなんなのか?
誰の思惑でそうなり、誰が儲けたのか?がわかるようになりました。
先進国でこの30年年収が下がっているのは日本だけ。
さらに他先進国と比較し1/3になっている。
僕は、2004年〜2007年欧州の技術者と協業することで、
それを痛感しました。
僕と同等かそれ以下の技術力や実績でも、
彼らの年収は、2.5倍〜4倍だったのです。
なぜ使い捨てなのか?
永年に渡り技術を磨き、ヒット商品を30年に渡り開発し続けても、
60歳の定年を機に年収が1/3以下(新人の約80%)になってしまう。
38年間の技術の蓄積と実績は全く評価されない。
🔻
定年退職し、
年金を繰り上げ受給することにした。
これは、日本人の大リーガーが引退後
”なぜ日本に帰国しないか?”の理由と酷似している。
【写真家tabbyの活動】
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